沿革

ゴルフ部70年の沿革

ゴルフ部70年の歴史を各年代ごとに網羅
時代背景ごとに移り変わるゴルフ部の在り方を、各年代へのアンケートによってまとめました。

主に練習は民営の「ソフィアゴルフクラブ」にて行った。合同練習や義務連はなく、「個人練習」が中心だった。

ブロック制はなく、上智の他、慶応、早稲田、立教、学習院、中央、明治、武蔵、東大の9大学による対抗戦が主な試合。上智は慶応・早稲田に次いで3位であることがほとんどであった。

学生の試合は主に、予選は東雲(しののめ)または新川崎、本戦は東京、我孫子、霞ヶ関で開催。

また、合宿は伊東GC碧湖コース(現:伊東パーク)、旧軽井沢にお世話になることが多かった。合宿前に現地に赴き、価格交渉なども行った。

当時の有名プロは国内では中村寅吉や林由郎、海外ではベン・ホーガンやサム・スニード、ゲーリー・プレーヤーなど。中村寅吉には東雲GCで手ほどきを受けることもあったとのこと。

ブロック制(現リーグ戦)が発足。上智はACリーグで昇降格をしながら戦う。

また、それまで主な練習場所であった民営の「ソフィアゴルフクラブ」が1967年末に閉場。それに伴いグラウンドハウス練習場ができたことにより、メインの練習場所となる。

合宿先は太田ゴルフ場、富士平原GCなど。部員全員でアルバイトをし、合宿費の足しにすることもあった。

当時は国内では杉本英世、樋口久子などがプロとして活躍。海外ではアーノルド・パーマーやジャックニ・クラウスの最盛期であった。

また、1960年代終盤には学生運動が活発化し始め、ゴルフ部は“ノンポリ”もしくは“右翼”と言われていたようだ。

970年代前半は学生運動の全盛期。ゴルフ部を含む体育会はいわゆる“体制派”であり、入試時の警備を務めたりすることもあった。(時には全学連と衝突することも…)

ロックアウト時は新丸子の練習場で練習をしたり、総武CCでキャディバイトをしながら合宿をしたりするなど、工夫しながらのクラブ活動が求められた時代であった。

その他合宿先は取手アジアCC、アジア下館CC、愛鷹600クラブなどで行うことが多かった。

また、プロの世界では尾崎将司が鮮烈デビュー。青木功と共に日本ツアーを盛り上げた。海外ではジャックニ・クラウスやトム・ワトソンが活躍する。

リーグ戦では男子は主にCブロック、女子はA~Cブロックで戦った。

練習は週2~4回の合同練習形式だった。迎賓館と絵画館のコースを走り、土曜日は皇居を1周したことも。たまに迎賓館と皇居の「8の字コース」があった。筋トレ(タコ踊り・腹筋・背筋・肩車なども行った。グランドがあいている時はテニスコートに向かってドライバーを打つことができた。

合宿は軽井沢、熊谷、新千葉などで行った。

部室は、主にホフマンホールや練習場のグランドハウスを部室として使用し、学食の購買部寄りの端が部員のたまり場となっていた。

キャディバイトは新千葉、太平洋クラブ軽井沢コース、川奈等で行った。

ウェアはブラック&ホワイト、ライル&スコット、マンシング等が人気でよく用いられた。

ゴルフクラブはベンホーガン、マクレガー、リンクス、パワービルト、ミズノ、ダンロップが人気だった。ドライバーはパーシモン全盛時代だった。

当時、人気だったプロゴルファーは尾崎将司、青木功、中島常幸、安田春雄、村上隆。外国勢はJ・ニクラウス、G・プレーヤー、L・トレビノ、T・ワイスコフ、トム・ワトソン、ジョニー・ミラー、ギル・モーガン、ジャック・レナー、クレイグ・スタ

ドラー、ブルース・リツキーらが台頭、他にセベ・バレステロスや

ボビー・クランペット、ローラ・ボー、ジャン・スチーブンセン等。

ゴルフの試合や練習だけでなく、部員間の交流や親睦を深める活動も多く行われていた。

リーグ戦では、男子はC~Eブロック、女子はC~Dブロックで戦った。

練習は赤坂御所や皇居周辺でのランニングや筋トレ、グラウンドでの素振り練習等が行われた。

合宿は主にセベバレステロス、ユーアイ、セントラル、矢板、新千葉、大日向で開催された。

また、新入生歓迎コンパは赤坂ロイヤルにて開催されていた。

主な部室はグラウンドハウスやホフマンホールで、学食の購買部前が部員の集う場所となっていた。

キャディバイトは新千葉、セベバレステロス、川奈などで行っていた。

プロのトーナメントのゴルフ中継の手伝い(スコア速報集計等)をすることもあった。

ゴルフウエアはセントクリストファーからラルフローレン、ボウストやシャークまで、様々なブランドが使われていた。

ゴルフクラブはホンマ、ミズノ、テーラーメイド、キャロウェイ、プロギアなど様々。

当時のゴルフ界では、尾崎将司、青木功、タイガー・ウッズ、羽川豊や倉本昌弘、岡本綾子など、国内外の多くの選手が活躍した。

細川首相が来校して講演するなどの出来事もあった。また、40周年記念コンペが開催された。

当時は楽しくのんびりとしたバブルの時代であった。

リーグ戦では、男子はC~Fブロック、女子はC~Dブロックで戦った。

練習は合同練習の形式をとっていた。月・水・金曜に迎賓館1周のランニング、前の広場で筋トレを行った。また、学内トレーニングルームでの筋トレや、週1回のレッスンプロによる指導もあった。

春夏の合宿はリーグ戦会場となるゴルフ場(ユーアイ、那須小川、矢板)やプレスカントリー、新千葉で行われた。

部室兼たまり場はグランドハウスだった。

キャディバイトは新千葉、グレンオークス、東京湾スプリングス、セベバレステロスで行った。

ゴルフウェアはラコステやナイキ(タイガー・ウッズの影響)が人気だった。上智大学のゴルフ部は他の大学に比べてカラフルなウェアを着用していた。

ゴルフクラブは主にキャラウェイ(Big Bertha)、ブリヂストン、ミズノ、プロギア、ツアーステージ、テイラーメイドを使用していた。

当時のプロゴルファーは丸山茂樹、伊沢利光、タイガー・ウッズ、セルジオ・ガルシア、不動裕理、東尾理子、カリー・ウェブ、アニカ・ソレンスタムが人気だった。

当時は、体育会に入ろうとする人が少なく、サークルに人が流れ、フレッシュマンウィークでの新入生獲得に苦労した。

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